1970年代から1980年代までアルゼンチンで続いた軍事政権下、拉致された人々を閉じ込め、拷問、暗殺が侵された元・アルゼンチン軍士官学校ESMAの建物が、9月19日開かれた第45回世界遺産委員会会議で審議され、最終的にユネスコ世界遺産として決定されました。 多くの人々が拉致され、現在まで行方不明となっている事件が、ラテンアメリカ大陸各国の軍事政権により70年代から80年代まで犯されたことを検証し、記憶風化防止につながる、全人類にとって顕著な普遍的価値を有する、建造物として認定されました。 「人類共通の遺産」という考えが1972年、「世界遺産条約」の採択を成し遂げ、現在で世界194か国により、全人類にとって有益で意味がある有形の不動産が世界文化遺産、または自然文化遺産として保護されています。 現在ESMAの建物は当時の記憶風化防止のため、当時そのまま保存され博物館として運営されています。        

9月18日(月)番組        

9月15日(金)番組        

9月14日(木)番組          

チャプター3

ロサリオは港町。人口から言えばアルゼンチンの第2の都市とも言えるし、いやそれはコルドバ市だよと言う人もいる。まあ最悪でも第3位の都市となる。 サンタフェ州の南東部、ブエノスアイレスからパラナ川を遡るとこ300キロに位置する。 ロサリオ市出身の著名人リストには、サッカー選手のリオネル・メッシ、ゲリラ革命家のエルネスト・チェ・ゲバラ、ミュージシャンのフィト・パエス、リト・ネビア、ホアン・カルロス・バグリエト、漫画家のロベルト・フォンタナローサ、コメディアンのアルベルト・オルメドなどが名を連ねる。         また1812年には、マヌエル・ベルグラーノ将軍が水色と白のアルゼンチン国旗を初めて揚げた場所として歴史に記されている。そして今のアルゼンチンの音楽シーンを率いる、22歳の女性ミュージシャンのニキ・ニコールもロサリオ出身だ。 本名ニコール・デニス・クッコ、2019年、低予算で作製されたWapo Trakeroでデビュー。僅かな期間で大ヒットとなった。現在まで、3枚のアルバムを発表している:Recuerdos, Parte de mi とAlmaだ。 またTiny Deskというドラマシリーズにも出演し、アルゼンチンのWos, Cazzu, Natty PelussoとConociendo a Rusia などのアーティストともに、最優秀ヤング・アーティスト・ラティン・グラミー賞にノミネートされる。他にもスポティファイ賞2つ、ガルデル賞2つ、40ミュージック・アワード賞2つ、ロ・ヌエストロ賞1つ、キエロ賞2つ、獲得する。       デジタル・マルティン・フィエロ賞、MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード賞、やMTVミレニアル賞のノミネートも受ける。 彼女のテーマは何百万回も再生されている。 […]

9月13日(水) 番組          

チャプター1

アルゼンチン・セッション BZRP ビザラップ アルゼンチンについて説明することは難しい、うんそうだ。 知るにあたってのまず最初の一歩として、偉人の名前から始めるのもいいかも知れない: ホアン・ドミンゴ・ペロン、チェ・ゲバラ、エビータ、ディエゴ・マラドーナ、リオネル・メッシ、ホセ・デ・サン・マルティン、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、フリオ・コルタサル。 音楽シーンでの偉人としてアタウアルパ・シュパンキ、メルセデス・ソサ、アニーバル・トロイロ、カルロス・ガルデル、ロベルト・ゴジェネチェ、アストル・ピアソラ、チャルリー・ガルシア、ルイス・アルベルト・スピネッタ、ソーダ・ステレオなどが挙げられる。 みんながアルゼンチン。         その歴史を一本のラインとして語るのもなかなか難しい。 1975年、軍事政権が樹立した時、アルゼンチンの暗い長い夜が始まったともいえる。 そして1983年、マルビーナス戦争の後、日が差した: 民主主義を手に戻す。以来、40年間にわたって選挙が行われる。人々は自由と夢を手にし、同時にハイパーインフレに苦しみ、汚職にまみれ、逆境も体験する。すべてを乗り越え生き続ける。立ち上がって。 今は新しい空気が音楽界では吹いている。 これまでの名前とこれからの名前、両方ともアルゼンチンだ。     これからの名前の1人にゴンサロ・フリアン・コンデがいる。25歳になったばかりのブエノスアイレス州西部のラーモス・メヒーア市出身だ。ロックバンドのディビディードスに言わせると、振動があるところ。 ゴンサロは今では世界で最も聞かれているアルゼンチンのミュージシャンで, ビザラップBZRPと名乗っている。       ビザラップはトレードマークの黒のサングラスといつも被っているキャップ、額部分にある名前BZRP ビザラップから母音を抜いた、ロゴマークで彼だどすぐわかる。シャキーラと一緒の歌で知られるビザラップは、インタビューに応じることは数少なく、サングラスは絶対外さない。 スポティファイではスペインのラッパー ケベドとのコラボの1曲は10億回再生された。昨年の7月スポティファイに登場し、わずか10日間で世界ランキング第1位となった。アルゼンチン・アーティストとしても初の快挙となった。そして昨年、アルゼンチン・アーティストの曲で最も聞かれた曲ともなった。 スポティファイは世界で最もスケールが大きい音楽プラットフォームで、ビザラップのスポティファイでの成長には目を見張らせるものがある。7年間で120万回の再生から20億9千万回の再生数まで増やし、2022年には世界で最も再生されたアルゼンチン・アーティストとなった。 ブエノスアイレス市の競馬場で3日間続けてリサイタルを開催し、6万人以上のファンが集まった。その後、ヨーロッパ各地で8月22日までコンサートを行った。海外のライブツアーはレゲトン発祥の地と言われるプエルトリコで始まった。3万人を超えるファンが集まった。 ビザラップは米国のタイム誌により、次の世代のリーダー達の1人に選ばれている。ビルボード誌のグローバル・チャートトップ3を達成し、Tu […]

9月8日(金)番組          

チャプター2

アルゼンチンは難解な国。ある一曲の歌詞に歌われているように、その歴史は「パンチとビンタの末に」作り上げられた。 アメリカ大陸の南、アンデス山脈の東に、イタリアとスペイン、ヨーロッパからの大勢の移民の到着と共に築き上げられた。       ブエノスアイレス港の付近に移民たちは住みつき、ヨーロッパと南米土着の先住民族コミュニティーが混ざり溶け合い、アルゼンチンのアイデンティティーのタンゴは生まれた。 タンゴの旗手にはアニーバル・トロイロ、カルロス・ガルデル、ロベルト・ゴジェネチェ、アストル・ピアソラ、エンリケ・サントス・ディシェポロ、オメーロ・マンシ、オラシオ・サルガン、ルーベン・ホアレスなど、有名な名前が揃う。 ブエノスアイレス市の南にあるラ・ボカ地区にイタリア系移民が住みついた。アルゼンチンの最大のサッカークラブ、ボカ・ジュニオルズを創設したのも、イタリア人、ジェノバ出身の男たちだった。アルゼンチンに着いてからのジェノバなまりのイタリア語が変わりに変わって、今ではボカ・ジュニオルズのサポーターのことをシェネイセスと呼ぶ。     カラフルな街並みのラ・ボカ地区は観光客にも大人気。そのラ・ボカ地区は、現在のアルゼンチンの音楽シーンを担うアーティスト、トゥルエノを生み出した。 トゥルエノ(本名 マテオ・パラシオス・コラシーナ)は現在21歳で若い世代より絶大な支持をうけている。 ボカ・ジュニオルズのサポーターで、生まれ故郷に深い愛情を抱く。 リオネル・メッシが登場する前までは、世界1のサッカープレーヤーだったディエゴ・マラドーナも死ぬまでボカ・ジュニオルズの熱狂的なサポーターだった。     ラ・ボカ地区があるブエノスアイレス市の南部は貧困層が目立つ場所だ。そこにボカ・ジュニオルズのスタジアム、チームカラーのブルーとイエローで彩られたラ・ボンボネーラは建つ。観光客に大人気の地区でもあり、アルゼンチンを代表する画家の1人、キンケーラ・マルティンもラ・ボカ地区を愛した人物でもある。 アルゼンチンに着いた移民により作られた町で、当時の住居、長屋の集合体は現在、民宿となっており、観光客に人気。そこで、トゥルエノはアメリカの国営ラジオNPR制作のシリーズに出演した。         トゥルエノは父親のウルグアイ人のラッパーのmcぺリグロ、本名ペドロ・パラシオの影響を受け、音楽界にデビュー。 手掛ける歌詞のほとんどが日常生活、生まれ故郷を歌ったもの。彼自身は自分のアイデンティティーはブエノスアイレス市のコムーナ4にあると明言している。ラ・ボカ地区、バラ―カス地区、パルケ・デ・ロス・パトリシオス地区、ポンページャ地区がコムーナ4を構成してる。   […]

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