6月28日(火)番組      

6月27日(月)番組    

アルゼンチンのサンティアゴ・カフィエロ外務大臣はニューヨークの国連本部で行われた非植民地化・特別委員会会議で、英国に対し、『平和を恐れず、覇権国行為を過去のものとして、交渉再開の場に戻る』ことを要請しました。   マルビーナス諸島問題はアルゼンチンの問題だけではなく、世界レベルの問題だとしました。まだ解決されていない植民地の問題は17件あり、そのうちの10件が英国が関連していると述べました。そしてアルゼンチンの姿勢とその理由は世界全体で認識されていると指摘しました。   カフィエロ外務大臣は『アルゼンチンは1810年、スペインの権利を引き受け、以来主権の権利施行を政府として行ってきた。1829年の政治及び軍事的司令機関の設営に至るまで。』と述べました。 また反対に英国の姿勢は時間の経過とともに変化してゆき、過去と現在で主張が正反対であると、告発しました。   英国は当初交渉を断固拒否していたが、1965年の国連決議第2065条を容認の姿勢を見せたが、後再び拒否するに至ったと語りました。 カフィエロ外務大臣はアルゼンチンのマルビーナス諸島主権を主張し、英国への対話再開要望と英国による諸島での不法占拠の結果としてアルゼンチンの訴えがあるとの姿勢を明確にしました。    

6月24日(金)番組      

6月23日(木)番組          

ラエ・アルゼンチン海外向け放送局日本語番組担当だった大ベテラ ンアナウンサーの佐藤アイデーさん、91歳で2022年6月11日永眠されました。 自宅で朝食をとった後のことでした。 長い間ラジオ放送に関わってこられたアイデーさんでした。 今は亡き、高木孝臣アナウンサーと共に、短波放送の黄金時代築いて来られました。短波ラジオ放送、そしてアルゼンチンの歴史ともに歩まれた人生でした。今から40年前の英国とのマルビーナス諸島戦争の時も、他のアナウンサーと共にラジオで机を囲んで、放送したという当時の経験を語ってくださったこともありました。 短波ラジオ放送と共に半世紀以上歩まれました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 合掌    

6月22日(水)番組    

6月21日(火)番組      

  マルティン・ミゲル・デ・グエメス将軍逝去より200年を記念し昨年、ラテンアメリカ解放の日として祝日に制定されました  アルゼンチン独立戦争で、北西部よりのスペイン軍侵攻を退けたマルティン・ミゲル・デ・グエメス将軍の逝去より200年を記念し昨年、ラテンアメリカ解放の日として6月17日はアルゼンチン全国で祝日と制定されました。  マルティン・ミゲル・デ・グエメス将軍は、アルゼンチン北西部のサルタ州で、1785年2月8日生まれました。主に牧童と先住民族で構成される部隊を結成し、スペイン統治から解き放たれる自由な国も求めて、スペイン軍の侵攻を退けました。  グエメス将軍なくしては、北西部のスペイン軍退けることは不可能でした。またこの北西部の抵抗を起点とし、南米生まれの人々による、自由な国家の建設への動きが起動し始めました。  もう1人の独立の英雄、ホセ・デ・サン・マルティン将軍は後にアンデス山脈を越え、アルゼンチン、チリとペルーの独立を勝ち取ります。  長い歴史の中で、グエメス将軍は、自由のための戦いを成し遂げるために、社会的弱者であった牧童や先住民族の絶大な信頼を得て、自身の財産全て投げ打ち、理想の実現を追いかけ成し遂げた人物と、尊敬の念を持って捉えれています。  生まれ故郷のサルタ州では現在でも、勇敢に戦ったと闘士として讃えられています。              

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