大統領は債務再編完了を発表しました

アルベルト・フェルナンデス大統領はさる月曜日、アルゼンチン政府は国外の債権者らとの債務再編プロセスを終了したと発表しました。新たに国債を交換することで93,5%の債権者と合意を得ました。 フェルナンデス大統領は“アルゼンチンはバーチャル・デフォルトに陥っていたが、約束事は守られるべきとやることはやったという安心感があり、また信頼感も損なわられていない。”と語りました。     フェルナンデス大統領は“2018年1月のデフォルト以降、もう市場はアルゼンチンには貸付無いと言われていたが、今回の債務交換は成功に終わった。”とのべ、またマルティン・ グスマン経済大臣も“今回の債務交換で次の10年間で377億ドルにのぼる債務支払いに一息つくことができ、利率も7%から3%まで減らす事ができた。”と説明しました。 グスマン経済大臣は来週以降、予算案が国会に送られるとのべ、“来年度の財政赤字は国内総生産GDPの4,5%ほどになると見られる”と語りました。 日本語訳・ナレーション:植田敬子 制作:シルバーナ・アベジャネーダ ウェブサイト:フリアン・コルテス

アルゼンチンのラジオ放送100年の歴史

本年2020年はアルゼンチンでラジオ放送が始まってから100年という佳節を迎え、1年を通じて記念行事が行われます。この100年の間、様々な歴史的な出来事があり、ラジオ放送もそれらの歴史的瞬間の証人としてその役目を果たすなか、国民の心に刻まれてきました。 今回は史実の中から、英国との間に1982年勃発したマルビーナス諸島戦争におけるラジオ放送に焦点を当てたいと思います 同年4月2日、アルゼンチンの手に一旦マルビーナス諸島は戻りました。 マルビーナス諸島紛争は、戦争における全ての分野、戦略に始まり、外交、経済、そして通信分野までもに影響を及ぼしました。 南半球の果てのマルビーナス諸島の軍事紛争で、ラジオがどのようにプロパガンダとして利用されたか、その点についてお話を進めたいと思います。 世界各国では和平時でも戦時でも、ラジオ放送は常に効果的な武器の一種として利用されてきました。 ラジオを政治的に利用した最初の国はドイツだと言われています。 第2次世界大戦中はトーキョー・ラジオ、ドイツ・ラジオ、BBCラジオ、を始めとする世界のラジオ放送がプロパガンダとして、又は策略の一環として政治的に利用されました。 大戦後、それに続いた冷戦時代、電波戦争が起こりました。様々な社会、政治、経済システムの国々がそれぞれの利益のため、また、敵対国を陥れるため電波交差しあいました。 その主な例として挙げられるのはモスクワ・ラジオ、アメリカの声、北京放送です。 そして欧州のフリー・ヨーロッパやフリーダム・ラジオが続きます。東欧諸国や、ソ連解体の後誕生した一連の独立共和国にむけて放送が行われました。 と同時に海賊版放送局といわれる、紛争地域やその周辺地域より隠れて放送を行うラジオも出現しました。 1982年の4月2日以前、マルビーナス諸島には英国のBBC放送のニュースと現地ニュースを英語で流すフォークランド・ラジオ・サービス(FIBS)がありました。使用しゅうは数は536Khzと2370Khzでした。 AM放送でポート・スタンリーと結び、短波放送で諸島の遠隔地域をカバーすることが試みられました。 アルゼンチン海外向け放送局とアルゼンチンニュース・ラジオも英語番組が放送されていました。また英国のBBC放送もケルパーズと呼ばれる諸島住民を対象とする番組が流されていました。全て短波放送でした。 テレビ番組はアルゼンチンのサンタ・クルス州のリオ・ガジェーゴス市の9チャンネルが時々受信されていました。 1982年4月2日、アルゼンチン軍はマルビーナス諸島を取り返し、同地域でのラジオ事情は大変換を成し遂げました。 数日後、FIBSはアルゼンチン軍により占拠され、アルゼンチン国営ラジオ放送局マルビーナス諸島支局LRA60番として全国ネットワークに組み込まれました。 そしてアルゼンチン人スタッフも瞬時に着任となりました。音響担当として、エルネスト・マヌエル・ダルマウ氏、テクニカル・オペレーターとしてフェルナンド・エクトル・ペンドラ氏、アナウンサーはノーマン・カルロス・パウエル氏がそれぞれ任命されました。 マルビーナス諸島支局LRA60番は、以前フォークランド放送FIBSが使用していた施設や機材をそのまま引き継ぎました。 紛争終了まで、LRA60番のアナウンサーは現地のメディアのことを良く知っており、マルビーナス諸島特有の英語にも堪能であった、前任のワッツ氏が務めていました。しかしこれが英軍にオンエア中のアナウンスにより戦略を読まれてしまうはめになってしまったのです。 紛争の間、アルゼンチン国営ラジオ放送マルビーナス諸島支局LRA60番はプエルト・アルヘンティーノのラジオの敷地内に設置されたケーブル・システムで放送を行っていました。中波536Khzと短波2370Khzの放送も同時に行われていました。これらの番組はアルゼンチン本土へむけて短波放送のリレー放送でも中継され、本土では他のラジオでもキャッチされました。LRA60番は当時の全国ラジオネットワークの筆頭放送局であったことが幾度かありました。 リレー放送で使用された周波数は15890Khzと24146KhzでUSBバンド運営のCable&Wireless Co.より設置されました。これらの周波数は紛争以前、諸島と英国間の通信に使われていました。 当時のLRA60番のプログラムはバラエティーに溢れ、英語とスペイン語の音楽、BBC放送のスポーツニュース、住民達に向けた英語・スペイン語でのコミュニティー・アナウンスとニュース、また遠隔地に点在する農場や牧場の住民達あてのメッセージなども発信されていました。 またアルゼンチン本土よりマルビーナス諸島へむけての放送も盛んに行われていました。アルゼンチン海外向け放送局やアルゼンチン・ニュース・ラジオは周波数6060Khzの短波放送で、アルゼンチン国営ラジオ放送局コモドロ・リバダビア支局LRA11番とリオ・グランデ支局LRA24番も特別番組を編集し、マルビーナス諸島支局へ向けて放送していました。 […]

アルゼンチンのラジオ放送100年の歴史

RAE 日本語番組アナウンサーを長年勤められたサトウ アイデーさんのメッセージ    

危機で体感するラジオ   アルゼンチンのラジオ放送100周年という佳節、ラジオの思い出をたどる良い機会でもあります。 Noblex製Carinaや 忘れられない匂いがする、なめし革のカバーに包まれたSpicaから流れる聞き慣れたメロディーや声、目を閉じるとこれらの思い出が溢れ出します。 これらの思い出とは違う、別の史実があります。 政治手段としてのラジオ、危機事態、紛争や戦時下のラジオです。ボリュームを上げて、朝食時キッチンで聞くラジオではなく、暗闇の片隅で息を殺してヘッドフォンを通して聞くラジオです。 もう1つのラジオ、そう、危機で体感するラジオ。 聞きたい人よ、耳を澄ませ。     ピレナイカ ラジオ スペイン内戦後、スペイン共産党により立ち上げられた 反フランコ政権の放送局、スペイン独立ラジオ、ピレニアン ステーション です。 (ピレニアン山脈のどこかにアンテナがあると言われて ‘ピレナイカ’ラジオと呼ばれていました。)36年間にわたってオンエアされました。1941年から1977年まで、実際にはソ連、のちルーマニアから、アンテナはスペインへ向けて放送は行われました。ほぼ10万8千回にわたるプロパガンダ放送で、それらの脚本の綴じは3000巻を超え、保管されています。リスナーから送られて来た手紙も含まれます。フランコ独裁政権の検閲をくぐり抜けるため、手紙の宛先は何度も何度も東欧諸国の違う住所に設定されました。夜間に放送され、サンティアゴ・カリージョ、別名ラパシオナリアの演説、ラファエル・アルベルティやジョアン・マヌエル・セラットのインタビューが低い音量で聞かれました。                     チェの世界 エル・ムンド ラジオ Radio […]

Whatsapp『Whatsappグループ』

ビクトリア・トローサ・パス氏は全国社会政策コーディネート委員会長で、『Whatsappグループ』でラエ世界に向けてアルゼンチンのアドリアン・コロル代表と懇談しました。 新型コロナウィルス感染拡大により生じた社会・経済問題をこれからどのように乗り越えて行くか、国民をどのように支えてゆくか、大きな課題となっており、国家の存在を公共政策に反映させることが求められていると語りました。 トローサ・パス氏は『アルゼンチンの貧困は子供と女性の顔を持っている。社会のこの側面に特に光を当てて、支援をしていかなければいけない。』とのべ、コロナ禍で自宅隔離命令が出ている中、個人に向けての緊急収入手当と法人に対しては賃金支払い支援という政策を素早く実施し、これらの政策はアルゼンチンの公共政策の歴史に金字塔として残るであろうと語りました。     日本語訳・ナレーション:植田敬子 制作:シルバーナ・アベジャネーダ ウェブサイト:フリアン・コルテス

短波放送とDX受信

1920年の8月27日、アルゼンチンで初めてとなるラジオ放送が行われました。 RAEラエ、世界に向けてアルゼンチンは当時の歴史的出来事、アルゼンチンの初のラジオ放送より、本年100周年という佳節を迎え、記念デジタルQSLカードを発行します。 世代を超えアルゼンチンのラジオ愛好者の憧れの的となっている、ポータブルラジオSpica (スピーカ)がデザインされています。 このe−QSLカードを皆様にお届けするため、ラエの番組の受信リポートを qslrae@gmail.comにお送りください。 受信リポート以外に、皆様が受信されている時の映像や聴いておられる番組の音声などのアーカイブスもお待ちしております。

コロナ禍中世界で唯一授業が中断されなかった学校

ブエノスアイレス市より6700キロ離れた南極のエスペランサ基地は南極大陸のトリニダー半島にあります。ラエ、世界に向けてアルゼンチンは 同基地の学校の教師、ビクトル・ナバーロ・サラサール氏とエスペランサ基地司令官のノルマン・ワルテル・ナウエル・トリパイ大佐と電話でつながりました。     エスペランサ基地はコロナ禍中でも授業が中断されなかった、世界でも唯一の学校がある場所です。冬休みが終わり、この月曜日5歳から12歳までの14人の子供達が基地内のラウル・アルフォンシン大統領第38学校に戻ってきました。隊員の子供達の教師は2人、ビクトル・ナバーロ・サラサール先生とマリア・イバーラ先生、後もう2人の学校用員がいます。 南極大陸には隊員が派遣され軍事および科学的な業務が行われるアルゼンチン基地が2カ所あり、エスペランサ基地はその1つです。現在63人、10世帯が同基地内で生活しています。 ラエ、世界に向けてアルゼンチンは 同基地の学校の教師、ビクトル・ナバーロ・サラサール氏とエスペランサ基地司令官のノルマン・ワルテル・ナウエル・トリパイ大佐と繋がり、貴重なお話を聞くことができました。。 エスペランサ基地にはアルゼンチン国営ラジオ放送局第36支局大天使サン・ガブリエルがあります。南極大陸唯一のアルゼンチンの放送局で、短波放送でアルゼンチンのニュースを世界に発信しています。     日本語訳・ナレーション:植田敬子 制作:シルバーナ・アベジャネーダ ウェブサイト:フリアン・コルテス  

外出禁止・クアレンテーナ中に楽しむアルゼンチン音楽

エピソード9- スペイン語で歌う世界の名曲 ポップからロックまで、世界のヒット曲、英語の数々の名曲が、スペイン語バージョンでオリジナルを超えるヒット作となっています。 ジャンル変化し、サルサのリズムで歌われた曲もあります。 続いて皆様ご存知の名曲5曲をスペイン語バージョンでお聴きください。   01- My Way / Frank Sinatra – スペイン人歌手、ラファエルのバージョンで、“A mi manera” (ア・ミ・マネーラ) 02- I´ll feel a whole lot better/ Tom Petty […]

毎年8月1日は、アンデス山脈に住む先住民族コミュニティーは、大慈悲で全ての生きとし生けるものを包み込み、全てに命を与え、終の住処となる母なる大地、パチャママを祝います。 この15年間でアルゼンチンではこの祭事の重要性はぐっと増しました。特に北東部の先住民族コミュニティーにとってはパチャママはエンブレム的な祝いとなっています。 8月1日の早朝、合唱で始まり、その日の宴のための食事と飲み物のメニューの下ごしらえと続きます。大地の恵みに感謝を意味します。 毎年尊い命のサイクルを新たにする祝い事で、差別なく全ての人が同じように感謝の気持ちを表します。 今日はアルゼンチン北東部に位置するサルタ州の国営放送局支局のスタッフが用意した人々の声、歌、コメントで構成されるオーディオお楽しみいただきましょう。人間に痛めつけられて、美しい自然が脅威に晒されている今、パチャママの祝い、母なる大地に謝意を表すことは大変重要となっています。トウモロコシを 始めとする大地の恵みの収穫を祝う人々の声が聴かれます。 サルタ州はブエノスアイレス市より北東に1500キロ離れています。       日本語訳・ナレーション:植田敬子 制作:シルバーナ・アベジャネーダ ウェブサイト:フリアン・コルテス アルゼンチン国営放送局サルタ支局 アナウンス:Luis Gomez. 編集:Rodrigo González Gomez. サルタ州音楽バンド担当:Sabino Figueroa, Balvina Ramos, Taimof Roots. […]

Scroll To Top