5月の早朝 6時過ぎ、電話が鳴り、エドゥアルド・サチェーリさんは スペイン語文学最高峰の アルファグアーラ・ノベルズ賞 受賞のニュースで 目を覚ましました。 小説 ラ・ノーチェ・デ・ラ・ウシーナ (パワー・プラントの夜)がスペイン語圏諸国の700を越える作品の中から選ばれ 受賞となりました。(...)
エステーバン・ベッケル・チュルキアン (以下 エステーバン・ベッケル)さんはアルゼンチン人で、赤道ギニアのサッカー選抜の監督を務めています。就任前は 世界ランキング200位だった赤道ギニアのサッカーのナショナル・チームを 現在の49位にまで 引き上げました。(...)
2年間にわたって 世界の4大陸・32カ国の 大都市から離れた小さな村を訪れ そこに住む 少年・少女の世界や夢を描く プロジェクト “小さく大きな世界”を 展開した イラストレーターで 幼児教育・教員の イバンケ (本名 イバン・ケルネル)さん。そのインスピレーションはミューズのように彼の元に降りてきました。(...)
ブエノス・アイレスから西に860キロ離れた 内陸のサン・ルイス州のメルロ村は 世界で3番目に気候が体にいい場所として 知られています。 1796年の10月1日 コルドバ・トゥクマン州総裁の ソブレモンテ侯爵により メロ村という名のもと 集落の創設が 認定されます。この名称は 当時 リオ・デラ・プラタ副王制度下 5代目副王だった ポルトガルのペドロ・メロを称えるものでした。(...)
アルゼンチンの黒人の歴史は、人種差別的な思想を持った 指導者の影響で これまで隠し通されて、あまり社会に浸透していませんでした。教育現場、メディア、社会全体の無関心、不明確な統計データーなどで、アルゼンチンは ヨーロピアン白人の国という という間違った認識が 先行していました。(...)
1816年7月9日がアルゼンチンの独立宣言記念日として知られていますが、その1年前、本当の意味での 全国的で 当時にしては大変革新的であった 市民の権利を謳った 独立宣言が行われていたという史実は 余り知られてはいません。(...)
1810年の5月25日の 5月革命の後、アルゼンチン独立への道のりは 明確なものとなりました。植民地という過去から脱却し、将来どの政権も スペインよりの干渉を受けないとの 確信のもと、アメリカ大陸生まれの生粋の現地人による 政治・経済・社会参加を謳う 独立運動が 芽生え始めていました。…